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チェルノブイル原発事故での海外体験

今思えば、丁度チェルノブイル原発の爆発の際は、私たち家族はミラノに住んでおり、風向きの関係で、イタリーでその被害たるや結構なものだったことを今頃思い出しています。
当時子供まだ4歳、その後二人目の子もイタリーで出産しています。

赴任して数ヶ月だったため、情報も少なく、あっという間にスーパーの保存食品、ミルク、水は空っぽ、どこかの国と同じです。

そして美しいアルプスの麓にあるあのコモ湖の魚が死んですべて浮き上がるという事態で、その後は卵も牛乳も一年以上、我が家では口にすることができませんでした。

日を追うごとにイタリーでも奇形の野菜や果物、そして、頭が2つあったりなかったりする奇形の牛が見つかるニュースが数多く報道されて憂鬱な日々。半年も過ぎれば皆普通に野菜を食べていましたが、我が家では心配だったので日本から送った保存食品や缶詰に頼る食生活をしていました。
しかし、日本のように放射性物質の値など詳細の報道もなく、人々がパニックになるようなことはないのと、水屋さんという業者があり、ミネラルウォーターを普段から配達してくれる習慣があったので、水道水を飲むようなことはありませんでした。

情報過多も人々を混乱に陥らせますが、チェルノブイル原発の報道は当時イタリア人記者がヨーロッパで最も早く報道し、なんとフランスでは政府が1週間も国民に知らせることなく情報をシャットダウンしてしていたことが後で報道されびっくりしました。

大勢の国民にとって何が本当によいのか、考えてしまいます。

さて、破壊されてしまったパソコンの十分な復旧ができず、写真の掲載がまだできません。今しばらくお待ちください。

4月からは平常どおり講習を行いますので、あわせてよろしくお願いいたします。